私は三回の流産と一回の科学的流産を経験しました。
妊娠するまでの私は病院とは縁遠く、歯医者、コンタクト購入のための眼科のみ。
結婚後もすぐ赤ちゃんを授かりました。病気知らずの私には「流産」がわが身に起こるとは思いませんでした。
検診で
「心音聞こえました」
ニコニコ
「ちょっとちいさいですね」
小さいんやな。
3回目の検診で
「心音が聞こえません」
え!!
「明日手術しましょう」
え?
病院知らずの私が流産?
と整理がつかないまま、一人目の赤ちゃんとお別れしました。
二回目の妊娠、一回目と同じように途中で心臓が止まってしまいました。
二回流産したあと、不妊治療専門の病院へ。
病院を移っても妊娠まではそんなに時間がかかりませんでした。
しかし先の赤ちゃんと同じように心臓が止まってしまいました。
どの赤ちゃんも8週を迎えることができませんでした。
私は不妊治療の病院に移っても、自然妊娠をしていましたので、積極的な治療の提案はありませんでした。
ずるずると通い続けていた病院。
なんとも言えない重苦しい空気の待合。
やめるもいいだせず、なんか日課のように通っていただけになっていた頃、再度妊娠。
しかし、この妊娠はすぐダメになりした。
妊娠した喜びも流産した悲しみも鈍くなってきている自分がいました。
これも慣れなんかな?
しばらくしてやっとステップアップの提案がありました。
一度、人工授精し妊娠が至らなかったので体外受精への提案(病院に通って2年以上が経過)がありました。
しかし、パートナーの仕事の関係で治療を中断することになりました。
中断している時の解放感。
子供なしの人生もと考え始めていた頃に妊娠が発覚。
でもパートナーには直ぐに打明けられなかった。
打ち明けたときのパートナーの言葉
「またあかんのとちがうん」
私自身も妊娠は嬉しい。でもまたダメになるのがすごくこわかった。
毎週の検診
テストの合否確認のような気持ちで臨んでいました。
そして7週の壁、8週の壁を越したとき。
やっと、喜べました。
しかし、検診が近づくと、「また死んでいたらどうしよう」と思っていました。妊娠していることを、兄弟、親しい友達にも伝えられず、ネットでは悪い情報ばかり目が行くという、悪循環に陥っていました。
3度流産で赤ちゃんを信じることができなくなっていたんですね。
もっと赤ちゃんのちからを、自分を信じることができていたら、
もう少し違った妊娠生活を送れていたのでは、
と今になって思うことがあります。
流産を経験したことで、「妊娠出産は当たり前」という思いが、いかに傲慢だということを気付かせてもらいました。
授かった命は今年で7歳。奇跡の命、これからも大切に育てていきたいと思っています。