あれ?なんで私には赤ちゃんが来ないの?

妊活体験談

結婚したら、すぐ妊娠できるものだと思っていた。
私の後に結婚した友達たちが妊娠して出産していく。

結婚したら1年くらいで妊娠して出産できるんじゃないの?

私の身体のせい?旦那の精子のせい?

子宮筋腫があったので、産婦人科には結婚前から通ってた。
内診してもらうのも慣れっこ

結婚してから1年以上経ってから子作りについて相談して、タイミングを取ってもらったり、私に黄体ホルモンが少ないからと薬ももらった
旦那の精子も検査してもらって、大丈夫そう。
通水といって、卵管が通っているかの検査もした。とても痛かった。もしかしたら通ってないかもって先生は感じたのかも。通水すると妊娠しやすくなる人もいるよと言われた

それでもなかなかできずに結婚してから2年が経った

大学病院の不妊治療の先生に相談してみる?と提案してくれた

紹介状を書いてもらって、大学病院の産婦人科、不妊治療の先生のところに通うことになった
産婦人科だから、もちろん妊婦さんもいるし、小児科も近いから子供もいる
不妊治療の先生の診察室は、妊婦さんたちの診察室と少し離れてた。
廊下で待つ時もこの人たちみんな不妊治療の先生の診察に来てるんだなーって思った
隣の診察室の先生は、子宮の病気を診てたのか、年配の方もいた

はじめて内診してもらって、先生の判断は早かった
実際に入院して手術するかはともかく、入院の予約をしてから帰って。
一番早くて手術は2ヶ月後になるよ。と言われた

子宮筋腫は24歳で見つかったときには3センチ、卓球のピンポン玉くらいだったのに、この時28歳で直径8センチ、野球のボールくらいに成長していた
子宮筋腫を取り除く手術をしても、自然妊娠できなかったら、人工授精ね。って言われた

卵管造影検査といって、卵管が通ってるか液体を通しながらX線透視で見る検査もした。
これがまた激痛。
出産するより痛いっていう患者さんもいるって先生は言ってたけど、ほんとに痛かった!
男の先生だから卵管造影検査も出産も経験することはないやん!と今になって思う

卵管造影検査の液体を入れるのもグイグイ入れてくれて、片方詰まってた私はめちゃくちゃ痛くて、痛いです!って何回も訴えた。もうこれ以上入らないか、と思ったのか諦めて止めてくれた。

結果は、卵管が片方詰まってるね。でした

たぶん、先生は卵管造影検査で卵管が通ってる状態にしてくれようと頑張ってたのかな。
卵管造影検査の後も妊娠しやすくなるらしく。そういうことなのかなって思う

卵管造影検査しても、子宮筋腫摘出手術は予定通りすることに

予定では2時間くらいで終わるはずだったのに、実際は4時間かかった
腹腔鏡下手術だったので、全身麻酔をして、4つの1~2センチの小さい穴からカメラや、操作する器具とかを入れて子宮筋腫を小さく切ってから取り出す
私の子宮筋腫が硬くてなかなか進まなくて、手術後に説明に来てくれた先生は疲れ果ててたよって家族から聞きました

お腹は切ってないけど、子宮を切ってるから、出産するときは経膣分娩はできなくて、帝王切開になるってことも聞いた

だから、妊娠する前から帝王切開の心づもりもできた

子宮筋腫を取る手術をして、詰まってた卵管がなぜか通ったらしい。
私にはよくわかんないけど、手術して、卵管が通ってたよって先生に言われた

子宮筋腫を取って詰まった卵管が通るっていうのが繋がらなくて、なんで?なんか押してたのかな?くらいしかわかんないけど、通ったならいっかー!

6月に手術して退院して、10月にまた診察来てねって言われてた

その間の期間に母から、
子供できたら海外旅行なんて行けないよ、今のうちに行くで?と言われて、9月に母とイタリア旅行に行った。
なんとも不運に生理と丸かぶり。
海外のナプキンってよくわからないし、たっぷりナプキンを持って行った。
が、旅行中に生理きたけどなんか出血少ない、まあ楽ちんだしいいか、とイタリアを満喫して帰国

10月の診察のときに一応調べてもらおうと、尿検査。そして内診。

妊娠できたね!

どこの病院にかかる?って聞かれて、実家の近くの日赤に紹介状書いてもらって
妊婦ライフが始まった

お盆の生理が最後だから、診察したのが妊娠2ヶ月か3ヶ月はじめくらいだったのかな
そんなにすぐ妊娠すると思ってなかったからびっくり。まさか妊娠初期で海外行ってることになってたとは!

ちょうど旦那の転勤があって、9月末に引っ越してて、10月の診察にあわせて地元に帰って病院にいってびっくりな結果をもらい

転勤先と地元、車で3時間くらいの移動を妊婦検診のたびに自分の運転でしてて、転勤先にいくの最後にしようと思ってた34週で、夜中に少量の出血、転勤先に居たから、産婦人科もわからない、救急に電話しても外科の先生しか居ないけど、それでもよかったら来て。と意味不明なことを言われ、検診を受けてた地元の病院に電話して相談。救急にもう一度電話して産婦人科医のいる病院を探してもらってと言われて、探してもらう。たまたま近くの総合病院で見てもらえることになって、救急車で行く?車で行く?と聞かれて、夜中の2時とか3時だったから、近所迷惑になるし、車で行きます。と伝えて旦那と二人で行くことになった

しかし、旦那が晩御飯のときにお酒飲んじゃってて、私の運転で旦那を乗せて病院へ。

夜中に行ったものだから、シーンとした真っ暗の病院内で産婦人科の診察室へ行ってエコーして、赤ちゃんは無事だよ、でも入院してね。とそのまま病棟へ
みんな寝てるから、この部屋で朝まで待っててねと、陣痛室のベッドで待機。
翌日旦那は仕事だから一旦帰宅。
夜中2時とかに起こされて4時すぎに帰って少し寝て仕事って大変なことさせちゃったな。

陣痛室ではじめて、分娩監視装置(NST)をつける。
お腹が張ったらボタンを押してねって看護師さんに言われたけど、お腹の張りがよくわかんない。
感で押すのを繰り返す。

地元で妊婦検診してくれてた先生は切迫早産になるかもとか、なーんも言ってくれず、10ヶ月まで転勤先に行ってもいけるよって言ってた。それを鵜呑みにしてた。

子宮頚管という単語を入院してから知った。
子宮頚管3センチ切ったらイエローカードだよって、同じ病室の切迫早産の先輩たちが教えてくれた。

そうなんだ
地元の病院では何も言われなかった。。

子宮頚管を私が思う例えにすると、
風船を膨らまして口の細いところの長さ。実際の風船だったら、膨らまして細いところを指で抑えて空気が抜けないようにするけど、子宮の口を開かないように支えてくれてるところが子宮頚管かな。と思う。長さがある方が子宮の中の赤ちゃんや羊水とかが抜けないように支えてくれそうだけど、短くなると耐えられなくて出てきそう。それが切迫早産という感じかなと思う。

子宮頚管短くて切迫早産の可能性があるから、入院してね。
入院して少し経っても、地元へ帰るのは危ないからここで出産してね。
と、県外での出産が決まった。
予定帝王切開なので、出産日は事前に決まる。
元々は地元の病院で5/9の予定だったけど、5/8に変わった。

3週間入院して、無事37週を超えて、予定通り、帝王切開で産まれました。

産まれてすぐ泣かなくて、いつお腹から出てきたのか私にはわからなくて、けれど手術室にいた助手さんみたいな方が、私の肩をトントンしてくれて、おめでとうございます。と言われた。

え?産まれたの?泣き声聞こえないけど?

よくわからないけど、左を向いたら、小児科の先生と思われる人が小さいベッドに向かって手早く処置をしてくれていて、その先生の手元に赤ちゃんがいるみたいだな。それくらいしかわからなかった。

息子は3510グラムと大きめで産まれたけれど、低血糖、酸素欠乏、ほかにもなにかあったらしくて、すぐにNICUに送られることが決まった。私は手術室の手術台の上で私の顔の横に赤ちゃんを連れてきてくれて、少し顔を見せてもらえた。写真を2枚撮ってくれた。その瞬間だけが出産当日の対面時間。
私のお腹を縫うのが先決、赤ちゃんも大変な状況だから早くNICUに連れて行かないと。

地元の病院でバースプランを聞かれて、
産まれたらすぐに抱っこしたい、できたら、おっぱいあげたい
と書いていた。
それは叶わなかったけど、顔の横に連れてきてくれた。
ほんとはそれさえしてもらえなかったかもしれない。
入院中、助産師さんに、バースプランを伝えていた。できるところまでしてみるけど、帝王切開だから抱っこやおっぱいあげたいはできないかな。顔の横に連れてきてあげることはできるかもって感じに言われてた。

ほんとに連れてきてくれてありがとうございました。
あの時の写真で私は産後の入院生活をどうにか乗り切れました。

現像した写真を私のベッドの柵に貼ってくれて、面会も抱っこもできない赤ちゃんの存在を感じることができた。
帝王切開の後の痛みに耐えながら、一晩過ごした。
痛み止めの点滴が切れてくるにつれて、痛みが増す。痛み止めの飲み薬もくれたけど効かない。夜中に見回りに来てくれる看護師さんたちが声かけてくれて、どうにか一晩過ごした

翌日、立てたら尿管抜いて、赤ちゃんのところにいけるよ
そう言われたけれど朝は立てなくて断念。午後にやっと立てて、けど病室からNICUまでが遠くて、車椅子で連れて行ってもらった。
やっと会えた、私の赤ちゃん
保育器の中で、心電図の装置と点滴をつけて、すやすや寝てた。

私がNICUで赤ちゃんにはじめて会ったときがその状態だったから、なにも違和感なかったけど、普通に生まれてたら、新生児室で他の赤ちゃんと一緒に並んで、心電図の装置や点滴もされずに、おくるみに包まれて寝てるんだなって、今は思う。

NICUは自然の明かりのみで赤ちゃんのいる部屋は電気つけてなくて、隣の部屋から漏れる明かりと、窓から入る外の明かりがたより。
いつも薄暗い感じの部屋で保育器に入ってた。
けれど、看護師さんや助産師さんがずっと近くにいて、心電図とか見てくれてて、なにかあればすぐに対応してもらえる安心感。
新生児室より安全。
そう思えた。

5日後、やっと保育器からだしても大丈夫ってなって、点滴も外れて、赤ちゃん用の小さいベッドに寝かしてくれた

やっと、抱っこできる。
やっと、おっぱいをあげられる。
やっと、普通のお母さんと同じことができる

母子同室をしたいと思っていたけど、それは叶わず。
入院中は病室とNICUで別々に過ごしてた
私はお腹の傷も痛いし、あまり寝れなかったので別々にいることでゆっくり休めたし、赤ちゃんもしっかり見てくれるNICUで過ごせて良かったと思ってる
退院は一緒にできたし、出生時の問題はもう大丈夫とのことで、初めての子育て生活が始まった。

あれから2年4ヶ月、息子はすくすく元気に育ってます