2019年8月26日。妊娠判定陽性。病室で夫と抱き合って泣いたあの日。
2週間後、心拍確認。ドクドク動いている心臓。「この子は必ず生まれてくる」そう先生に言ってもらった2日後、仕事中に大量出血。救急車で搬送。切迫流産でそのまま入院。絶対安静の入院生活が1か月半続いた。救急車の中で「どうか、どうかこの命だけは守ってください」と泣いたあの日。小さな小さな命の塊だった息子が、1年後、無事に生まれてきて、目の前で元気に生きている。泣いて、笑って、おっぱいをごくごく飲んで、今を精一杯生きている。やっと来てくれたこの命。命の奇跡にただただ感謝しかない。
私には2人の子どもがいる。5歳の長女と3ヵ月の長男だ。2人とも授かり治療で授かった。
31歳で結婚。長女を授かるまで約3年半。なぜできないのか悩み苦しんだ日々。藁をもすがる思いで産婦人科に通い、妊婦さんを見る度に自分はダメな人間なんじゃないかと、落ち込み辛かった日々。不妊治療専門の病院を紹介され、初めて行った日。悩んでいるのは私ひとりじゃないと知り、安堵した。いくら検査しても異常なし。不妊の原因がわからないのは出口のないトンネルを歩き続けているようなもので私たちは赤ちゃんに選ばれないのか、と泣いた日々。人工授精を繰り返しては生理が来るたびに、落ち込み、泣き、ひどいときは過呼吸になり、仕事にも行けなくなった時もあった。人工授精5回目。もうこれでできなかったらステップアップといわれ、覚悟した瞬間。長女を授かった。
無事に出産。子育てに必死な日々。娘が1歳を過ぎたころ、そろそろ2人目をと妊活スタート。やはり、なかなか授からない。以前通っていた病院で再検査。異常なし。人工授精開始。2歳の子を連れての通院。長時間待って診察2分。機械的に行われる人工授精。気が付いたら人工授精7回。そして私は37歳を迎え、夫は46歳になっていた。この年齢で、不妊の私が、二人目を望むのは無謀なことで贅沢なことなのかもしれないと思うようになっていた。周りにも1人いるのだからもういいじゃない、と言われることもあった。何度も何度も自分に問いかけ、夫婦で話し合った。だけど、どうしても諦めきれない。なぜそんなに欲しいのか、と聞かれても、理由はない。ただ産みたい、それだけだった。
そんな中、尾崎里美さんというイメージングの先生のセミナーを受けに行った。
そこで、2人目を出産しているイメージングをし、号泣した。その日は八回目の人工授精の日だった。帰り際夫が「もうやめよう。俺たちは不妊じゃない。必ずできる。大丈夫や。」と言ってくれ、そのまま二人でドライブした。きれいな虹が見えた。まるで私たちの決断を祝福してくれているかのようだった。そして、通院をやめた。そこからは、2人で「必ずできる。」とイメージングをし、予祝をし続けた。今までは駄目かもしれない、とマイナスにしか考えられなかったのが、「必ずできる」と信じたとたん。全ての出来事が受け入れられるようになった。生理が来ても、赤ちゃんがくる再スタートだと思うようになった。周りにも、「必ず授かりますから」と宣言するようになった。
そして1年が経った2019年の元旦。2人で「2人目を授かりました!」とこの1年を予祝。すると夫が来年の春に生まれる気がすると言い出した。5月。数年ぶりに出会った友人が、子どもを2人連れていた。2人目ができない、と悩んでいた彼ら。彼らにいい病院があるよ、と紹介された病院は以前通っていた病院から徒歩数分のところだった。なぜかその時、行きたい!と思い、その足で夫と病院に行った。行きの車中で年齢のこと、今までの治療のこと全て含めて、体外受精をしようと夫婦で決断して向かった。以前の私は、体外受精なんてしたら、本当に自分は不妊であることを認めてしまうと思っていて、その一歩が踏み出せなかった。しかし、夫が「でき方なんかどうでもいい。俺らのところには必ず赤ちゃんがきてくれる」と言ってくれた。「必ず来てくれる。」そのプロセスとして体外受精があるだけ。病院の先生も「必ずできます」と断言してくださった。
不妊治療ではなく、授かり治療。職場の上司にも「授かり治療行ってきます」と伝え仕事の後、往復2時間かけて通院。
毎日の自己注射、採卵、薬。全ての過程が辛いものではなく、授かるためのプロセスだと思えたら、ありがたくて幸せだった。無事に4つの受精卵ができた。命の源と対面し涙が止まらなかった。1回目の体外受精。陰性。数週間でもお腹の中に命の源がいてくれたこと、そしてそれがいなくなったと、病院で泣き続けた。2回目の体外受精。必ず着床してくれるとイメージしながら、判定を待つ。そして、陽性。抱き合って泣いた。そしてその時、2人で言った言葉は、「やっぱりきたね」だった。お互い信じていたからこその言葉だった。
そして、2020年5月11日。夫の直感どおり、春に生まれてきてくれた。私40歳、夫49歳になっていた。
2人の子を授かるまで、多くの涙を流した。だけど、全て私には、私たち夫婦には必要な経験だったと思う。授かり治療を通して出会った人々、信じる力、そして、どんなにうまくいかなくても、ずっと大丈夫と言い続け、支えてくれた夫。それら全てに感謝しかない。
多くの人がなかなか授からなくて悩んでいらっしゃる。どうして自分だけ。ダメな人間なのか。私もそう思っていた。しかし、必ずできる。そう信じようと決めたとき、自分自身も信じられるようになった。そして、今できることを精一杯やろう、どんなことも受け止めていこうと思えるようになった。体外受精で授からなかったとしても、やりきったらきっと後悔しない、できなかったらできなかった人生を受け止めていこう、と夫と話し合えた。そのことが、自分を強くし、安心させ、支えてくれたと思う。明るい未来をイメージすると、目の前に起こることすべてが必要で、目の前のことを大切にして生きていける。一日一日の積み重ねの先に明るい未来はある。そう信じられるようになった。
息子が生まれる直前、赤ちゃんコミュニケーションというのを受けた。胎児と会話できるという人が息子の声を聞いてくれた。すると、「お母さんが授かりたいと思ったあの日からずっとそばで見守ってきた。お母さんが周りの環境が整うのをまっていた。」と伝えてくれた。ずっと生まれたいと思ってくれた命。だから、あきらめきれなかったのかもしれない。全ての日々を見守ってきてくれた命。生まれてくれたこの命。奇跡の命。私のところに来てくれた、それだけでありがたい。全ての出来事に感謝して、これからも子どもたちと夫とともに生きていきたい。
予祝・・・日本古来からあるもの。あらかじめ未来に起こることをお祝いしてしまい、夢や願いを叶える方法。花見などがそう。