ラジオとコンビニと涙

コラム

水曜日の10時半、それが予約の時間。
それに間に合うように、ほぼ1年、仕事の休みの日に、毎週のように片道1時間20分、ハンドルを握り通った不妊治療の経験があります。

働きながらの治療は大変な思いをされる方は少なくないと思います。
私も、大変とか、つらいという気持ちを押し殺し、ゴールの見えない毎日を悶々と過ごしていました。

通院するための車中、毎週聞いたラジオ番組があります。
失礼な言い方と承知で表現しますが、賞賛の意味で、いつも馬鹿なことばっかり言っているパーソナリティ。
つらい時は、正直、しょっちゅうむかつき、時々は励まされました。
うれしい時、正直、何も聞こえない、正直、何も、覚えていないというのが事実です。
6年たって、ワーママとなり、毎朝、あえてそのラジオ番組を聞きます。
つらかった気持ちを忘れたくないからこそ、あえてその番組を聞くのです。
過去にすがるのではなく、その乗り越えた先にあった気持ちを忘れず、大事にしたい、だからこそ、毎朝聞く、そのラジオ番組なのです。

そして、最もつらかった日、流産の手術の朝に、パートナーと立ち寄ったコンビニがあります。
病院で涙を流さないために、駐車場で涙を流したコンビニです。
いまでも、そのコンビニは灰色にしか見えません。
だけど、それが灰色に見えることで、目をそらさないことで、過去の自分より強くいられます。

今でも、そのラジオもコンビニも、私を強くしてくれています。
不妊治療の経験は出産を経ても、決して美化されるものではないと思っています。
体の痛みも、心の痛みも、孤独も、これに勝るものにはまだ出会えていないからです。
そこに至る覚悟も、継続する苦悩も、ほかの何にも変換して表現することのできるものではないからです。
結果が何であれ、その経験こそが、チャレンジを辞めなかったことが、一生自分を強くしてくれるのだと思います。