知らないことだらけの妊娠トラブル

コラム

改めまして、こんにちは。
現在、2人の子供たちの子育て中の母親です。

結婚して数年後に妊娠。
側からみれば順調に結婚〜妊娠出産の道を進んだ夫婦に見えるかもしれません。

そんな私たち夫婦も不妊治療を経て、子供たち2人を授かりました。
前回までは結婚する時の話、ダイエットからの治療開始についてお話しさせていただきました。

今回は、妊娠するまで、そして妊娠してからも・・・についてお話をします。

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月経困難症から治療をスタートし、結婚を経ていよいよ妊娠したい!と思った時に、
不妊治療がスタートしました。(何度も言いますが、『授かり治療』ですが!)

病院へ通い、ホルモン剤を注射し、基礎体温を測って・・・
その時通院していた病院が大きな総合病院だったため
(精密検査などをするには結局総合病院の必要があり)、
会社勤めだった私の場合は、平日の午前中に通院するための会社の理解が必要でした。
たまたま私が勤めていた会社は女性社長が経営する会社で、圧倒的に社員も女子率が高く、
女性特有の身体の病気に対しての理解が深かったので有り難かった・・・。
会社から自転車で通える病院に転院し、できるだけ仕事にも支障がないよう
工夫しながら通いました。

その後、パートナーの転勤があり、その会社を退職せざるを得なかったのですが、
会社からの理解というのは本当に大切で、私は恵まれた環境だったと思います。

転勤後、通院しなければならないこともあり、転職も難しく働くことを諦めました。
また、全く知らない土地で別の病院を新しく探すのにも苦労しました。
人気であるという理由で通った病院では待ち時間は2〜3時間以上は当たり前で、精神的にもしんどくて。

タイミング療法からスタートしましたが、パートナーは出張や夜の接待もあり、
「この日は早く帰ってきてください」とお願いしなければならず、
二人のための治療なのに、何かと女性側がお願いする立場であり
肩身が狭いことが物凄く辛かったです。
そして夜の営みも雰囲気も何もあったものじゃなく義務的事務的な感じで。

「誰のための治療なんだろう?」

お互いの幸せのためにやっているのに、自分ばかりが苦しくて、
だけどパートナーは仕事が忙しくて相談できず、
治療を始めて半年以上経った頃から、「今月がトライする最後にしよう」とばかり考えていました。

そんなこんなで苦しい時期もありましたが、我が子が私の元にやってきてくれました。

とても、とても、とても、本当に嬉しかった

この小さく動く命を、大切にしよう!!と思ったことを、あの心拍確認の映像のシーンを、
今でも鮮明に思い出します。

しかしその後の妊娠期間も波乱万丈でした(涙)

まさかの切迫早産になってしまい、里帰り出産を希望していた私は予定を早めてバタバタと帰省し、
約2ヶ月以上、天井だけを見上げる入院生活となりました。

町の小さな産婦人科での入院だったので、個室で人と話すこともなく、
長い長い1日が終わるのを待つ日々。
手帳にバツ印をつけながら、出産予定日まであと何日、というカウントを行い。
妊娠して終わり、ではなく、この世に我が子が生まれてくるまで、
順調にいくことって本当に奇跡なんだと痛感。

だって、前回の話と同じになりますが、そんな授業を学校で受けたことはないし、
誰も教えてくれなかった。

人によってお腹が張りやすい人がいること、注意すべき点があること、
その治療法にも様々あること、自分が経験してみて知ったことばかりです。

下の子の時は子宮頸管を縛る手術も受けました。
医学が進歩した今だからこそ、手術でカバーできる部分もありますが、
それ以前に体質改善身体づくりをしっかりと行っておくべきだったと反省しています。

ネットでいろんな情報を得ることができる社会にはなりましたが、
知ろうとした時には時既に遅し、ということも。

もっともっと、早い時期から学び、知識を得れる社会になってほしいなと願ってやみません。