あなたと夫婦でよかった。2人の想いを紡ぐ不妊治療

妊活体験談

30代前半ATさん

「子どもがほしくなったら、すぐ病院に行くといいよ」

25歳の頃、婦人科の先生から、そう言われました。

私は10代からずっと生理不順でした。自分の身体のことが心配になり始めたのは、周りの友達が結婚や出産をするようになったのがきっかけです。

生理不順の原因は、卵巣に嚢胞があって、うまく排卵できていないことだと分かりました。おそらく自然妊娠は難しいから、子どもが欲しくなったら不妊治療専門の病院に行くように言われました。

主人と出会ったのはその2年後。付き合ってわりと日の浅いうちに、結婚の話になりました。子どもができにくいかもと伝えると、そうなんだぁと軽い返事。男性って妊娠、出産、子どものビジョンが女性よりもぼんやりしているのか⁈深刻な告白をしたつもりでいたので、拍子抜けしました。

しかし、当時の私は子どもがほしいという気持ちで頭がいっぱい。主人にも妊活について真剣に考えてほしかったので、精液検査を受けてほしいと頼みました。検査結果は問題なし、少しホッとしました。

今思えば、主人が結婚前に検査に行ってくれたのは当たり前ではないし、私の不安な気持ちも含め、私の身体の事も受け入れてくれた主人には、本当に感謝ばかりです。

結婚して生活が落ち着いた頃、不妊治療専門の病院に行きました。はじめに内診をして、つぎに不妊治療の段階や今後の方針について話を聞きました。

その後、順番に、卵管造影検査、ヒューナーテストをしました。どちらも異常はなく、タイミング法での治療が始まりました。生理日から計算して、排卵しそうな日の付近に受診します。しかし、私は自力で排卵することが難しいため、卵胞が育っておらず、排卵の気配なし。薬を飲んで排卵を待つ事になりました。

薬を飲むと卵胞が育って、排卵の準備ができます。先生に言われた日にタイミングをとって、生理が来るか様子を見ました。

毎月、生理日付近になるとドキドキそわそわ。そして、生理がくる度に、落ち込んで、泣きました。主人は、「大丈夫。次は赤ちゃんができるかも」と言ってくれました。しかし、気持ちに余裕のない私は、子どもができず主人に申し訳ない気持ちとは裏腹に「なんで大丈夫なんて言えるの?根拠は?」と困らせ、当たっていました。

その頃、たまたまテレビ番組で、不妊治療に携わる仕事に就きたいという学生のインタビューを観ました。
「私は不妊治療で生まれた子どもです。不妊治療で生まれてきた子どもは100%望まれて生まれてきた子どもだと思います」
インタビューの中でそう言っていました。その言葉が心に響いて、忘れられませんでした。生理がくる度、辛かったけれど、100%の愛情で子どもを迎えたいと、前向きになれました。

数ヶ月が経った頃、先生から不妊治療のステップアップを勧められました。タイミング法の次は人工授精を勧めているが、私達の場合は人工授精ではおそらく今までと変わらず、成果は出ないだろうとの事。ステップアップするなら、対外受精だと言われ、勉強会に参加しました。夫婦で話し合って、もう1回タイミング法で妊娠できなかったら、対外受精にしようと決めました。

いつもの排卵の薬を飲み、卵胞が育ってきた頃、病院に行きました。排卵のタイミングがより正確に分かるようにと、初めて点鼻薬を使いました。
最後のタイミング法に望みをかけ、生理予定日までの長い2週間を祈りながら過ごしました。

そしてついに!
なかなか生理がこないので、期待に胸が弾みました。ドキドキしながら内診台に上がると、今までの内診で見た事がない、小さな楕円が見えました。
「妊娠してますね。この袋の中に赤ちゃんが居ますよ」と、その小さな楕円を示して先生は言いました。
今まで感じた事のない、なんとも愛おしい気持ちでお腹に手を当てました。この中に赤ちゃんが居るなんて。私、お母さんなんだ。

仕事から帰った主人に妊娠の事を伝えると、主人は泣き出しました。生理が来る度に泣いて落ち込む私を見ているのが辛かったと主人は言いました。苦しい期間が長かったけど、二人で力を合わせて取り組んでよかったと、主人は号泣。

情けない事に、その時初めて、不妊治療で辛かったのは私だけではなかったと気がつきました。妊活、不妊治療は、一人の努力では限界があります。私の言葉に耳を傾け、理解を示し、一緒に考えて取り組んできた主人に、いつも支えられていました。
私達夫婦は、不妊治療を通して、より夫婦になって、より家族になりました。